英語を使うということが、ある意味、
自然に出来ると楽しい。。。
といっても、きっと、自分は途中で
一杯恥をかいて、苦労したんだけど、
今ではそれをあんまり憶えていないというだけ。
子供の頃、何回、転びましたか?泣きましたか?
と訊かれて答えられないのと同じかな。
確かに憶えているのは、住んでいた地方都市に
大きなホールがあったので、アメリカの男の子たち
(きっと高校生)のブラスバンンドが来て、
中学1年生の私は、英語を話そうとするけど、
膝がガクガクしたこと。
膝ッて本当にガクガクするんだ〜と、初めての体験。
でも、それでも恥かいて、もう嫌!ってことなく
やっている。
イギリスの歌手に憧れて、ファンレターを
書いたのは何時だっけ?それだってよくやった
なあと思う。
多分、へんてこりんな英語だっただろうに。
地方都市の○十年の前の公立中学での
英語は、全国的に標準てきなものでした。
ただ、今思っても---そのころは特殊なことだとは
思わなかったけど--- 話すと驚かれるのが、
市の教育委員会がアメリカの学生を夏休みに招き、
ホームステイ先を提供し、その代わりに英語を
中学生に教えるという企画を実施していいたことです。
市の新聞に書かれてあったものを姉が見つけ、
「行けば〜」で何と、私は3年間毎年、確か、
2週間前後だったと思うけど、毎夏通ったのです。
1年生の私たちは、それほど未だ、英語を知らず、
アメリカ人の学生たちは日本語は一切喋れない。
はじめの頃の授業で、
There isとThere areをやったのを憶えて
います。それ以外の場面は、私の糧には
なっているんでしょうが、場面そのものは
思い出せない。
先生は、彼だけだから、
“There is a teacher.”
といっていると、
違うよ、という顔。
あらっ、教室の後ろのドアからそっと、
もうひとり日本人の先生が入って来ていた!
“There are two teachers.”
“There are twelve students.” とか
そうか、ひとりの時は、isで
ふたり以上の時は、areかと。
実体験!
実際に、そこで起こったシチュエーション
として捉えることで、そこには日本語が
入らなくたって、通じてる、話せてる〜
地味だけど、体感覚で入ってくる。
先生の準備は、結構、大変だけど。
積み重ねて行くと、いいテンポで
受け答えが出来てくる、そう、話せてる〜
この方法を取り入れて、英語を話すことを
楽しんでもらうこと、今、私自身がやり始めています。
対面を基本に、スカイプも取り入れながら、
少しずつやっていますが、楽しんでもらって
いるようです。もちろん、これにもちゃんと
やり方があって、まずは基本を押さえることは
してますよ。
さて、この間、実家の写真を整理していたら、
中学生1年生の時、教えてくれた先生(学生)と
撮った集合写真が出てきました。
とってもちっちゃな白黒写真。
しっかり先生の横に立ってる私!?
彼にもう、会うことはないだろうけど、
どこでどうしているか知らないけれど、
教えてくれたスタンフォード大の学生さんたちに
Thank you very much!
今、英語が話せると楽しい〜、と
私が伝えようとしてます!
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posted by mitsuko at 12:25|
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